2010年1月20日(水) 第9回校長講話

「シュリハンドク」
    ~清掃を通して心をみがく~   

 

 

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 先日の始業式の時に「凡事徹底」というお話の中で、「当たり前のことを当たり前にやろう」というお話をしました。そして、校長先生から、皆さんに3つのことをお願いしました。
 ○1つ目は、「あいさつ」 ○2つ目は「おそうじ」 ○3つ目は「なかよし」でしたね。「あいさつ」や「なかよし」のことは、その都度お話していますので、今日は「おそうじ」に関わったお話をしたいと思います。

 

 

 みなさんの今の清掃の様子はどうでしょうか?始業式の時に、校長室に来ている6年生のお友達の素晴らしさをお話しましたが、「いっしょうけんめいにおそうじをしている」、また「黙っておそうじをしている」ってお話しましたね。黙っておそうじをすることを、難しい言葉で「無言清掃」と言います。

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なぜ「いっしょうけんめいにやる」とか「無言清掃」が大事なのか、今日は「おそうじ」に関わったお話をしたいと思います。

 むかしむかし、2500年ほど前のお話です。インドという国にいたお釈迦様の弟子に「シュリハンドク」という名前のお坊さんがいました。

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  このお坊さんは、物覚えが悪く、朝聞いたことでも夜になるともう忘れてしまうというお坊さんです。自分の名前も覚えられなくて、背中に自分の名前を書いてもらい、人から名前を聞かれると背中を見せて教えているというのです。ですから、他の人からはバカにされていました。シュリハンドクはそういう自分が情けなくなって、ある時、お釈迦様の所へ行って「私は、もう坊さんをやめたいです」と相談しました。するとお釈迦様は「何も心配することはいらない。」と言って、彼に1本の竹ホウキを渡して、「これできれいにしましょう。」という言葉だけを教えたのです。

 

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 シュリハンドクは、それから何年も、その言葉だけを繰り返しながらおそうじをし続けました。ある日、いつものように庭そうじをしていると、お釈迦様が来て、「ずいぶんきれいになったね。だけど1ヶ所だけ汚い所があるよ。」と声をかけてきたのです。そこで、シュリハンドクは不思議に思い、「お釈迦様、どこが汚いのでしょう?」と尋ねましたが、教えてくれませんでした。「はて、どこなんだろう?」と思いながら、それからもずーっと「もっときれいにしよう。」と言いながらおそうじを続けたのです。

 

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数年たったある日、シュリハンドクは、はたっと気がついたのです。「そうか、汚れていたのは、場所のことではなく『自分の心の汚れ』だったのか」と気がついたのです。D3C_4005.jpg

 

  その時、お釈迦様はシュリハンドクの後ろに立っていて「これで全部きれいになりましたね。」と言ってくれたのです。心の中の汚れとは「そうじがイヤだとか、さぼりたい、もっと楽をしたい、おしゃべりしながらやりたい」とか、「人をバカにしたり、威張りたい」などという心を捨てなさいということに気がついたのです。

 

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 お釈迦様の教えがわかったシュリハンドクは、ますますおそうじに精を出し、人々から逆に尊敬される立派なお坊さんになったのです。そして、やがて年をとり多くの人々から惜しまれながら亡くなりました。

 今日は、おそうじにちなんだシュリハンドクというお坊さんのお話をしました。おそうじを一生懸命に、しかも黙って行うことが、もちろんその場所をきれいにすることなんですが、実は「自分の心をきれいにする」ということだったんですね。そういう心が実は将来、皆さんが大きくなる時にどうしても大事になってくることなんです。


 3学期もわずかです。6年生にとっては6年間磨いてきた思い出の校舎ですし、3月には学校で最も大事な「卒業式」があります。全校の皆さんは、6年生のために心を込めてきれいな校舎で卒業式を向かえてもらうようしたいですね。そのためにも、今日のシュリハンドクのように「黙って一生懸命にそうじをする」、と同時に「自分の心を磨き」すべての皆さんが立派な西小学校の子どもとして3学期、そして今年度を締めくくってほしいと願っています。
 

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 今日からのおそうじで「無言清掃」「一生懸命」そして「心をみがく」、そのようなおそうじにするには、自分としてどのようにすればいいのか、クラスで話し合って取り組んでみましょう。

 

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