2019年12月27日(金) 2学期 終業式の校長講話

 

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長い2学期が終わりました。

学校では様々な行事があり、皆さんも大いに活躍し、成長しました。その間、日本では10月にラグビーのワールドカップが開かれ、日本は代表選手の活躍ではじめてベスト8に入って、日本中大いに盛り上がりました。

 

さて、その日本代表チームのキャプテンを務めたリーチ・マイケル選手、知っている人も多いと思います。リーチ・マイケル選手は、今は日本の国籍を取得して日本人になりましたが、元々出身はニュージーランドです。ニュージーランドと言えば、ラグビーでは世界一と言われるとても強い国です。

 

リーチ・マイケル選手は15歳の時に、ラグビーが世界一強い国から、当時はとってもラグビーの弱かった日本へ留学生としてやってきてました。15歳のリーチ少年は北海道の山の手高校という高校に入学しました。ラグビーが世界一強い国からやってきたリーチ少年が日本の高校のラグビー部に入って一番驚いたことは、練習方法がニュージーランドと日本では全く違うということだったそうです。ニュージーランドでは、毎日ボールを持ってパスの練習やキックの練習、スクラムの練習などをしていたそうですが、日本に来たらほとんどラグビーボールを持たせてもらえず、ひたすら走るばかりの練習が続いたのだそうです。リーチ少年はこの練習方法の違いに戸惑いました。リーチ少年は日本の練習方法をすぐに受け入れられなかったそうです。それはなぜかというと、ラグビーが世界一強い国から来たのですから、ラグビーが弱い日本を馬鹿にしていたのですね。ボールも持たずに、こんな練習をしているから、日本は弱いのだ、自分はラグビーがうまいからこんな練習をする必要はない。ラグビーがうまい自分が、ラグビーが下手な他の部員と一緒に練習しているなんておかしい、と思い、ラグビーが上手でない他の部員を馬鹿にして一緒に練習するのを嫌ったそうです。

 

おそらくリーチ少年がそのまま大人になっていたら、きっと今のリーチ・マイケル選手はなかったでしょう。リーチ少年が変わるチャンスが訪れました。それは、1年生の時に出場した「全国高校ラグビー選手権」だったそうです。リーチ少年は1年生からレギュラーで試合に出ていました。北海道の予選ではそこそこ通用したそうですが、全国大会に行ったらリーチ選手は全く通用しなかったそうです。相手に思いっきりタックルしてもはじき返されてしまう。自分がボールを持って走ろうとしてもタックルを受けてすぐに転ばされてしまう。ボールを追いかけて走っても相手に負けてしまう。試合の途中で体力の限界になって全く動けなくなってしまう。その時、リーチ少年は「今までの自分の考え方は間違っていた。今のままの自分ではダメだ。自分を変えていこう。」と思ったのだそうです。

 

それから、リーチ少年は、それまでサボっていたランニングや山道を駆け上るといったつらいトレーニングに率先して取り組んだそうです。大学へ進学しても同じように、基礎体力をつける一番つらい練習にこそ先頭に立って取り組み、今のようなどんな大きな外国の選手にぶつかられてもびくともしない、鋼のような肉体と精神を手に入れたのです。リーチ・マイケル選手はこう言っています。「自分は日本に来て、自分を変えることができた。自分を変えてくれて、自分をラグビー選手として育ててくれたのは日本だ。だから、ラグビーで日本に恩返しをしたい。」

 

日本のラグビーを、そして、一緒に戦うチームメイトを馬鹿にしていたリーチ少年が、自分を変えることで、自分が馬鹿にしていた日本ラグビーの代表選手になり、ワールドカップベスト8の夢を叶え、日本中から応援される選手になりました。人は変わることができるのです。変わることは決して恥ずかしいことではありません。自分を変えることで、自分がもっともっと成長する、自分の夢を叶えるチャンスがそこに生まれるのです。

 

皆さんはいかがでしょうか。自分を変えていくのに、時期は関係ありません。いつでもいいのです。ましてや、もうすぐ年が変わります。これまでの自分を振り返り、これまでの自分の殻を破って、変われるチャンスが今来ているのかもしれません。

 

冬休み、安全に、そして健康に過ごしてください。そして、1月8日に「よ~し、今年はこんなふうに変わるぞ」とい目標を持った皆さんに会えることを楽しみにしています。