2024年7月29日(月) 竹の花五輪塔
本校の校章は、「竹の葉」をモチーフに作られています。
創立50周年記念誌「丸子北中学校のあゆみ」には、以下の記載があります。
中学校新設の地名が竹の花台地であることから竹をとり、
この竹は一節ずつ、しっかりしめくくりをつけながら、まっすぐ伸び、
風雪に耐えられ強靱さと柔軟性を兼備している。
(二十周年誌より抜粋)
と。
そして、このデザインは、学区内で公募を行い、応募作品を参考にして作成した、
とあります。
私は、本校の敷地に「竹の花台地」という小地名がついていることも知らずにいましたので、
この資料を見たときには、宝物を見つけたような気分になり、とてもわくわくしました。
これまで、
校章が竹の葉っぱをモチーフにしたというのは聞いたことがあるけれど、どうしてなのかな、
「竹の葉っぱ」ということから、この辺は竹林だったのかな、
などと、素朴に考えていました。
コミュニティスクールの地域の方に、
「学校の敷地は、竹の花台地という小地名なのだそうですね。」
「このあたりは竹林だったのですか?」
など質問をしてみたところ、
「竹の花遺跡がそこにあるよ、教育委員会が掲げた看板もあるよ」
ということを教えて頂き、早速行ってみました。
場所は学校のすぐ裏です。
いつも近くを通っていたのに、看板があることにも気づきませんでした。
解説によると、
「竹の花」は「館の端」がなまったもので、
昔、地域の土豪の屋敷がこのあたりにあったらしく、その「屋敷の端っこ」という意味のようです。
上の五輪塔は、かつて飯沼神社がここにあったときから存在したもので、
神社が移転した後も、この五輪塔だけがここに残されている、
ということでした。
そして、このあたりは、縄文時代から多くの人が住んでいたらしく、
「深町遺跡」として大規模な発掘調査が行われたこともあるそうです。
そのようなことが分かりました。
あらためて、分かったこともとに振り返ってみますと、
「竹の花」という地名は、実際に、竹林が広がっていたとか、竹の花が咲いたことがあった、
ということではなく、
「土豪の屋敷の端っこのあたり」という意味であり、
従って、
本校の校章のモチーフである「竹の葉っぱ」と、地名の「竹の花」とは、
直接は結びつかないもの、ということがわかりました。
ただ、だからといって、この校章が本校にふさわしくない、ということではありません。
学校の敷地に「竹の花」という小地名があることが知れたのは、この校章のお陰ですし、
校章が、地域からの公募をもとにデザインされたということをふまえれば、
制定された際には、当時の本校生徒、先生方、地域の皆様、みんなの心が一つになって
完成をお祝いしたことでしょう。
そういった、この学校の歴史と本校にかかわるみなさんのあたたかな心が、
この校章には込められていることを強く感じるからです。
そして、本校の校章が、竹の花五輪塔や深町遺跡ととともに、
みなさんに大切にされ、これからも、末永く受け継がれていくことを、心から願うものです。