2013年10月16日(水) 10月校長講話 『卑怯と義』

 皆さん、おはようございます。9月27~28日の松輝祭は、皆さんが素晴らしい企画力と運営力を発揮しました。私はその感動の余韻がまだ冷めずにいます。そのとき、外部から何人ものお客様がおいでくださったのですが、その方々が、「一中の生徒たちは、素晴らしい。また新たな発見をしました。」と幾人もの方々からお褒めをいただきました。

 皆さんは、大いに自信を持っていいと思います。

 こんなに褒めてもらった私も、"さすが一中生!すげえ!"と、とても誇りに思えました。

 

 さて、10月11月は、あちこちで人権についての研修会や授業が行われています。

 そこで、きょうは、皆さんと人としての生き方について考えたいと思います。

 

 皆さんは、『卑怯』という言葉を知っていますか。実は、今の三年生の皆さんが1年生の時、「卑怯」について話をしたことがあります。今回は、さらにその続きのような話をします。友だち同士でゲームや遊びをしているときなどに「なんだ 卑怯者」とか「卑怯だぞ」なんて言ったことはありませんか。ずるをしたり、ルール違反をしたりしたときに言われたりしますね。漢字で書くとこう書きます〈板書〉

 

卑怯 ひきょう 

卑劣 ひれつ

 

 どういう意味かというと、

「人柄や行動が卑しくて、下品」という意味です。もう少し分かりやすくいうと「嘘つきで、乱暴で、人のいやがることをしたりする」というような意味だと思います。いかにもいやだなあという感じがしますね。他にも、「卑劣」という言葉もあります。これも同じような意味です。

 昔から、日本の武士道では、このような「卑怯者にはならない」「卑怯なことはしない」「卑怯なことをすることは。恥ずかしいことだ」という誇りを持って生きてきました。

 だから、外国の人たちは、口々に「日本人は、人を騙したりしない 正直で働き者だ」と褒め称えました。そして、「日本人の精神に学ぼう。日本人の心に学ぼう」と言って、多くの国々は、日本から色々なことを勉強しました。また、日本に来た外国の人たちは皆「日本は犯罪の少ない、決まりを守る安全な国だ」とも言い、私達はそれを誇りに思ってきました。

 マレーシアという国をきいたことがありますか?1981年~2003年までその国の首相を務めたマハティール首相は、総理大臣になったとき「私は、日本を模範に、日本のような国をつくろうと思う。」と言って、マレーシアという国を発展させました。

 このことを政治用語で「マハティールのルックイースト政策」といいます。でも、総理大臣を辞めるときの演説では、「日本を手本に国造りをしてきたが、現在の日本から学ぶ事はない」と言っていました。私は、これを聞いたとき大変悲しく思いました。

 これは、どういうことを言っているのでしょうか?何を言いたかったのでしょうか?

 さあ、最近の日本はどうでしょうか? 「振り込めサギ」という言葉をよくニュースなどで聞きますね。これは、他人にうそを言って、お金を騙し取ることです。被害を受けたお年寄りは、一生かかってこつこつと貯めたお金をみんな騙し取られ、「これからどうやって生きていったらいいか分からない。」と泣いている人も多くいます。

 昔は、そんな卑怯な事をする日本人はいませんでした。マハティール首相は、今の日本には、人からお金を騙し取ったり、訳もなく人を殺したり、自分さえ良ければいいという、自分のことしか考えない人間が増えているということを言いたかったのかもしれませんね。

 

 卑怯な行動は、友だちを怒らせる、 卑怯な行いは、人を悲しませる 卑怯な人は、出会った全ての人を不幸にする 卑怯者がそこにいると必ずトラブルや事件が起こる。まわりのみんなが迷惑をうける そして、みんなから嫌われる 

 日本の武士道は、そんな人にならないように、卑怯者にならないように一生懸命 正直に、誠実に生きることを大事にしてきました。

 「卑怯」という言葉の反対の言葉は「正義とか信義」と言う言葉です。〈板書〉

 

正義  信義

 

 これは、「行いが正しく、人から信用される・信頼される」というような意味です。

 「義」という字は、上は「美しい羊」 下は、「我=私」つまり「心の美しい私」という意味なんです。どうですか? みなさんは、人を騙したり、人に嫌われるような卑怯な人になりますか?それとも、みんなから信頼される心の美しい人になりたいですか?

 

 きょうは、「卑怯」という言葉について考えてきましたが、教室でも、今日の話を自分たちなりにどう考えるか。勉強してほしいと思います。

 

「卑怯者」と言われることは恥ずかしいこと 相手にされなくなること 卑怯なことをしない させない ゆるさない みんなでそういう学校をつくっていこう。