2013年4月 1日(月) 豊殿小学校の沿革
その後、幾度か学区制の変遷を経て、明治19年『芳田学校』と校名が改められ、本原・蒼久保・国分に支校を置くようになりました。
明治22年には市町村制が実施されるとともにそれぞれの支校が独立して分かれ、本校は『豊里・殿城尋常小学校』と呼ばれるようになりました。豊殿小学校の呼称もここから生まれることになったのです。
昭和16年には『豊里殿城国民学校』と改称され、初等科6年、高等科2年の間に、子どもたちが勉学に励みました。
昭和22年の「六・三制」実施により国民学校は小学校と改称になったとともに、豊里村と殿城村が合併して豊殿村ができ、『豊殿村立豊殿小学校』となりました。
その後、昭和33年には豊殿村が上田市と合併したため、校名も現在の『上田市立豊殿小学校』と称するようになり、今日に至っています。
(豊殿小学校記念誌より)
『豊里・殿城尋常小学校』の実写図
現在の『豊殿小学校』