2007年12月27日(木) 保科百助先生

保科百助先生は、自らを『五無斎』と呼び、教員時代に 武石小学校の校長を務めその後各地を回って採集した鉱物から標本を作り、配布したり講演をされたりした先生です。                     
                                                                                       ↓ 武石小学校歴代学校長の肖像画より

生い立ち


 明治元年(1868年)6月8日 

 現在の長野県北佐久郡立科町に生まれた。

 
 明治19年(1886年)4月 
 長野県尋常師範学校に入学した。
 
 明治24年(1891年)3月 
 同校卒業。飯山小学校へ赴任した。
 
 明治25年(1892年)4月 
 東塩田小学校へ赴任した。
 
 明治26年(1893年)4月 
 本原小学校へ校長として赴任した。
 
 明治28年(1895年)4月 武石小学校へ赴任した。
 武石村下本入で緑簾石(焼き餅石)を発見。
 
  明治32年(1899年)6月 大豆島小学校へ赴任した。
 
  明治34年(1901年)3月 退職。
  長野県地学標本採集旅行に出る。
 
  明治44年(1911年)6月7日 長野赤十字病院にて逝去。
 
 
        緑簾石〔焼き餅石〕    
   
            
   “武石”の写真
  
 
 
   武石小学校に贈られた『長野県地学標本』    
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
整理された標本箱の内部