2020年2月20日(木) 2月の校長講話「エルトゥールル号」

 2月12日(水)校長講話では、「エルトゥールル号」のお話をしました。

日本とトルコ共和国が、時代をこえて助け合ったお話です。低学年の皆さんには少し難しいお話でしたが、1年生が「やさしいことをするとやさしいことがかえってくるんだね。」と話しながら教室へ戻っていく姿があり、うれしく思いました。

以下に紹介します。

 2月も中旬になりました。寒い時期ですが、元気に過ごせていますか?校庭や体育館で元気に遊んでいる人もいますね。手洗いうがいを忘れずに、体をいっぱい動かして寒さに負けない丈夫な体をつくっていきましょう。 

 さて、今日は国同士が助け合った話をします。日本とトルコ共和国の話です。 

 今から35年前の1985年、イランとイラクは激しい戦争をしていました。そんな中、イラクのサダムフセイン大統領は、「48時間たったらイランの空を行き交う飛行機を、無差別に攻撃し打ち落とす」と言いました。イランの国では、いろんな国の人たちが住んでいたので、48時間たつ前に、イランを出なければ命の危険がある状況でした。

 それぞれの国では、イランにいる自分の国の人たちを助けようと、飛行機の準備を進めました。ところが、日本だけは飛行機の手配ができなかったのです。日本政府は、日本航空に飛行機を出すようにお願いしたのですが、48時間以内ではイランの首都テヘランに着いたとしても安全に脱出できるのが難しいというのです。自衛隊の飛行機を出すことも考えたのですが、その時の日本の法律は、戦争をしている国に向けて自衛隊を送ることができませんでした。

 その頃テヘラン市内には、300人を越える日本人がイランを出ようと待っていました。日本からの飛行機が出せないと知ったその人たちは、絶望に近い思いだったでしょう。

 そのような時に、奇跡のような知らせがもたらされました。トルコ政府が、日本人のために飛行機を2機飛ばしてくれると言うのです。脱出を待つトルコ人は数百人いたそうですが、その人たちも「日本人にその飛行機へ乗ってもらおう!昔受けた恩を返す時だ!」と口々に同じ言葉を叫び、みず知らずの日本人を飛行機へ送り出してくれたのです。

 最後の飛行機が日本人を乗せてイランを出たのは、無差別攻撃のわずか4時間前だったそうです。最後の飛行機に乗れなかったトルコ人は、トラックや車に乗ってイラン国境を越え、一週間近くもかけて避難しました。なぜトルコの人々は、日本人に飛行機を譲ってくれたのか不思議に思いませんか?「昔の恩を返す」とトルコの人たちが口にしたその「恩」とはどんなことなのでしょうか。それは、もっともっと昔にこんな話があったのです。

 

 イラン・イラク戦争から95年ほど前の1890年 9月16日のことです。日本は、明治時代です。一隻の軍艦が台風に巻き込まれて、和歌山県串本沖の紀伊大島付近で遭難してしまいました。587人の乗組員が亡くなり行方不明になってしまう大きな事故でした。軍艦の名前は、エルトゥールル号。オスマン帝国、今のトルコが日本と仲良くするために日本へ派遣した軍艦で、トルコへ帰るために横浜を出航したばかりの事故でした。台風で浅瀬に乗り上げたため、爆発が起き、破壊されたエルトゥールル号の乗組員は、何とか崖をよじ登って紀伊大島の灯台にたどり着くと、灯台守はすぐに近くの村に知らせに走りました。遭難を知った島の人々は、大荒れの海に飛び込むなど一生懸命助けた結果、69名の乗組員を助け出すことができました。

 そして、貧しい村であったのですが、災害があったときに備えてあった自分たちの食料を使い、できる限りの手厚い看護で、政府の救護隊がたどり着くまでトルコの人たちを守り抜いたそうです。

 10月5日、69名のトルコ人の乗組員は、日本海軍の軍艦2隻に乗って、オスマン帝国へ帰ることができました。このような日本の助けに対して、オスマン帝国は感動の念に包まれたということです。「日本に何かあれば、今度は私たちが恩を返すのだ」と、現在でも学校の教科書にエルトゥールル号事件を取り上げているそうです。

 

 自分たちの国の飛行機を日本人のために出してくれたトルコの人たちは、その時から95年前に起きたエルトゥールル号遭難の時の恩を返そうとしたのです。まさに命がけの「恩返し」だったのです。そこにいたトルコの人たちの多くは、一般の市民でした。語り継がれてきた昔の人たちの恩を返そうと、自分たちも危険であるのに日本人を救おうとする人間の勇気のすごさを感じます。

 

 トルコの人たちを助けた日本人、時代が変わってもその恩を返したトルコの人たちの生き方、そこから、私たちは学ぶことがあります。

 

 始業式の「地獄と極楽」の話を覚えていますか?たくさんあるものを分け合うことは少しがんばればできるかもしれません。でも、困っている人がいた時、自分の大切なものを差し出せるかどうかは、本当に難しいと思います。心のあり方次第です。私たちは、エルトゥールル号を助けた日本人や、恩を返してくれたトルコの人たちから、心のあり方を学んでいきたいですね。