2024年2月 6日(火) つぶやき 雪の日の挨拶は「ありがとうございます」

【校長の大きなつぶやき165  雪の日の挨拶は「ありがとうございます」

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昨日の午後、市道材木町染屋線(材木町2丁目信号交差点から浄水管理センター南東付近)

通称「染屋坂」が積雪のため、車両通行止めとなりました。しかし、歩行者通行可でした。

それは、下校時や今朝の登校時に、地域の皆様、支部PTAの皆様等が歩行者のため、

特に通学する小中学生のために、歩道をしっかりと雪かきをしていただいているお陰です。

もちろん、雪かきをしていただいているのは「染屋坂」だけでなく、

各地区から学校に至る通学路すべてにおいてです。本当にありがとうございます。

学校でも、子どもたちが登校する前に、職員が昇降口前、駐車スペース、コンテナ室前、

北門や南門から昇降口までの通路等を雪かきをしています。

そんな雪かきをしている横を通る子どもたちは、「おはようございます」の後に、

「(自分たちのために雪かきをしてくれて)ありがとうございます」の声が聞こえてきます。

私たちは、雪かきの寒さのために手も縮こまってしまっているのですが、この

「ありがとうございます」の一言で、何ともじわっと心も ホッと(Hot)温まります。

よく「信州教育と問われれば」、多くの長野県の教員の心に思い浮かばれる歌があります。

  深雪せる 野路に小さき 沓の跡  

         我こそ先に 行かましものを

                      林 芋村

これぞ、永遠に教師の心というべきか。これなくして何が先生ぞ。

【野路の碑】の解説

 長野県下伊那の平谷村から隣村に通じる峠道を谷川に沿ってしばらく行くと、道端に一基の歌碑が立っている。それには次のように一首が刻み込まれている。
  『深雪せる 野路に小さき 沓の跡   我こそ先に 行かましものを』  林 芋村
 作者の「林芋村」という方は、平谷村の小学校で大正初期から昭和の初めにかけて教鞭をとられた先生。     この地は県南でありながら、冬季は雪も深く寒さも厳しい地域なので、昔はさらに雪が多く、子どもたちは学校に通うのが大変だったと思われる。

 そんなある朝のことである。村外れの一軒家に住んでいた芋村先生は、昨夜の雪が気になったのであろうか、いつもより早く起き雨戸を開けてみると、一晩中降り続いた雪が一面深く積もっていたのである。
 先生がふと家の前の小さな道に目をやるとなんと、そこにはもう子どもたちの小さな沓の跡が学校の方に続いているではないか。
  『深雪せる 野路に小さき沓の跡』
 芋村先生はそれを見て、
 「しまった!」と唇をかんだにちがいない。
こんな朝こそ、私が真っ先に家を出て、大きなわら靴で足跡をつけておいてやるのだった。

そうして教室の火鉢にしっかり炭火をおこしてやるのだった。
  『我こそ先に行かましものを』
 先生はそう思うと、朝食もそこそこに身支度を整えて、深い雪の中を夢中で駆け出されたことだろう。
 芋村先生が、風呂敷包みを小脇に抱えて子どもたちの身を案じながら

雪の中をひたすら駆けていくお姿が想像できる。

 長野県の先達林芋村先生のこの歌は、子どもたちに寄せる思いや子どもを慈しむ心を

本県の教員として大事にしていきたいということで、ほとんどの長野県の教員が使用している

「教務手帳」「週案簿」(ともに信濃教育会編)にもしっかりと記載されている。