2013年1月 9日(水) 2013年 1月 9日 3学期始業式でのお話

2012年度(平成24年度) 上田市立第四中学校 3学期始業式

ボスニア・ヘルツエゴヴィナという国を知っていますか



 「戦争」という言葉を知っていますか。今、皆さんが住んでいるこの国、日本は今から68年前の1945年8月15日から、今日まで、戦争は行っていません。戦争という言葉の反対語「平和」な日々が続いています。ところが日本が戦争をせず、巻き込まれなかったこの68年の間に、世界では200近くの戦争が起こっています。戦争という言葉から、皆さんはどんなことを心に思い浮かべるでしょうか。・・・・・・武器、戦車、爆発、銃撃戦、テロ、敵、軍艦、ミサイル、空襲、死ぬこと、殺し合い、裏切り、憎しみ、火事、破壊、・・・・・・。

 もっとありそうですが、一つだけ共通して言えることがあります。それは、戦争は敵も味方も傷つき、殺され、そして相手の国や人々への恨みの気持ちと憎しみが増えていきます。それは何年たっても消えることはありません。昨日まで普通に言葉を交わし、困った時には当たり前のように助け合っていた人々が、ある日から突然、憎しみ合い、戦争となる。そんなことも世界では起こります。戦争や憎しみは食い止めることができないのでしょうか。あるいは食い止める希望はないのでしょうか。そんなことを考えている時、ある出来事を知りました。

 ボスニア・ヘルツエゴヴィナという国を知っていますか。(ギリシャの北、バルカン半島にある国です。世界地図で確認して下さい。)もう21年前になりますが、このボスニア・ヘルツエゴヴィナで戦争が起こりました。国と国の戦争ではなく、一つの国の中での戦争です。内戦です。戦争が始まると昨日まで仲良く暮らしていた人が敵同士となり憎しみ合い相手を無視し、協力しなくなります。これからお話するのは、そのボスニア・ヘルツエゴヴィナの小さな町での出来事です。

 この町に敵・味方に分かれてしまった人々が住んでいました。一方はセルビア系と呼ばれる住民でもう一方はイスラム系と呼ばれる住民です。セルビア系住民にソラックという名の家族がいました。ソラックさん一家は5人家族。ソラックさんと奥さん、そしてソラックさんの長男、(しかし彼は戦争が始まると敵となったイスラム系住民に連れ去られました。)長男の奥さんとそして生まれたばかりのソラックさんの孫娘です。

 戦争は日に日に激しくなり段々と食料が不足していきました。大人はなんとか頑張れますが、赤ちゃんは大変です。食料が無くなりかけたソラックさん一家は赤ん坊に5日間お茶を飲ませて育ててきましたが、段々と赤ん坊は弱ってきました。胸が引き裂かれそうになった五日目の朝早く、家のドアの前にファデルという男が立っていました。彼は町はずれの原っぱでたった一頭の牛を飼う貧しいイスラム系農夫です。彼は学校にも行ったことがなく、字もよく書けません。そしてソラック一家にとって彼は戦争で戦っているまさに敵の住民です。その彼が500㎜リットルの牛乳を何も言わずソラック一家に差し出しました。次の朝も彼はやってきました。また次の朝も。また次も・・・・・・。

 近くに住むこの農夫ファデルの仲間は彼を取り囲み「ミルクは味方のイスラム系住民にやるべきだ。ソラック一家のような敵であるセルビア系住民の赤ん坊なんて死んでしまえ。」と罵りました。でも彼はじっとだまり何も答えませんでした。お金も受け取らず442日も彼は牛乳をソラック一家に運んできました・・・・・・。

 「私の長男を連行し殺したであろう敵のイスラム系住民を許すことはできません。しかしあの敵であるけれど私たちにミルクを運んでくれた一人の農夫のことを、人々に語りかけることが私たちの務めなのです。」とソラックさんは言いました。「当時、塩は1㎏80$(約6500円)しました。彼が運んでくれたミルクはもっともっと貴重なものでした。牛を飼うことすら難しい日々だったのです。彼は私たちに合計221リットルもミルクをくれました。今でも毎年、この時期になって暗い寒い日が来ると、目を閉じるたびに、重火器の爆破音に混じって、階段を昇ってくるファデルの足音が聞こえてくるのです。」・・・・・・

 戦争が続いていたボスニア・ヘルツエゴヴィナの小さな町で、この読み書きもできない貧しい農夫のしたことが、もう一人の人間をそしてその家族を、一生、幸せで包み込む。おそらく一度別れたらもう会うこともできないと分かっていた人の人生を彩ります。牛乳を一日も欠かさず運んだファデルの行いの中に、希望を見つけることができないでしょうか。