2013年3月15日(金) 平成24年度 上田市立第四中学校 3学期 終業式

 

1月9日から始まった3学期もいよいよ今日で終わりになります。そして3年生は3年間の中学校の教育課程をすべて終えて、卒業の日を迎えます。春3月、冷たさを含んだ空気がいつしか消え、山の向こうから待ち望んでいた光の春が一気に舞い降りる時期を迎えました。この季節は「希望」「歓び」「決意」あるいは「たのしみ」、そして「旅立ち」という言葉が似合う時です。今日は、卒業や進級を迎える皆さんに「たのしみ」という言葉に関係する話を贈りたいと思います。
 かつて中学生や高校生に歴史を教えながら時々考えたことがありました。それはずっと昔に生きていた人たちと現在の我々の間に通じ合うものはないのか、ということでした。何百年も前の人達と我々では、衣食住や考え方、ものの感じ方の違いは勿論ありますが、それでも同じ人間として共に分かり合えるものはないか、と。
 そんな折、『たのしみは そぞろ読みゆく 書(ふみ)の中に 我とひとしき 人をみし時』という歌に出会いました。この歌を詠ったのは今からおよそ百四十五年前、江戸時代の終わり頃の越前の国(今の福井県)の歌人、国学者である橘曙覧(たちばなの あけみ)という人物です。
 橘曙覧が詠った『たのしみは そぞろ読みゆく 書(ふみ)の中に 我とひとしき 人をみし時』
 この歌を私は次のように読みとってみました。橘曙覧が伝えたかったのは「心からたのしいことは、読んでいる本の中に、自分と同じ思いや考えを持った人を見つけた時である。」と。
 皆さんはどうでしょうか。百四十五年も前に生きていた、この橘曙覧という人と同じ「たのしみ」を、本を読みながら感じたことはないでしょうか。おそらく多くの人が読書をしながら、登場人物の言葉や文章の中に自分と同じ分かり合えるものを感じ取った経験があるものと思います。橘曙覧と我々は生きている時間も場所も異なりますが、それでも同じ「たのしみ」を言葉を通じて共有できることに、私は読書することそして歴史を学ぶことに何とも言えぬ喜びを見出しています。
 結びに橘曙覧が詠ったもう一つの歌を、君たちが卒業後も進級後も、こんな学生生活をこれからも送って欲しいと願いながら紹介したいと思います。
 それは『たのしみは 心をおかぬ ともどち(友達)と 笑ひかたりて 腹をよるとき』という歌です。江戸時代に生きた橘曙覧はこの歌で「たのしみ」を私たちに語ってくれます。それは、「心からたのしいことは、気が合う親しい友だちと、笑い語り、お腹がよじれそうになる時である。」と。どうでしょうか、そんな経験をした人が何人かいそうですね。どうかお腹がよじれそうになるほど笑い語れる親しき友達とこれからもたのしい学校生活を送って下さい。そして自分なりに「心からたのしいこと」を見つけて下さい。
 新しいスタートを迎えるこの時期に、江戸時代に生きていた人と共に分かり合えること、そして「たのしみ」について話をしました。